2016年4月21日木曜日

熊本の地震について感じた事

久々の更新になります。

タイムリー?な熊本の地震についてあれこれ書いていこうと思います。

あくまで私の生活面に関してなので各地域では環境生活が異なることにご留意
いただけたらと思います。

まず最初4月14日の九時半ころに初めて大きな地震が起きました。

私個人は1994年12月28日に起きた三陸はるか沖地震(震度6)を
青森県三沢市で体験していましたし、三沢市にいる間に
何度も地震を経験していましたので、すぐに震度5~6あたりは来ているなあと感じました。

と同時に、長崎に住む親せきから青森で地震が起きるたびに
九州はいいぞ、地震なんてほとんど起こらないからなという話を
よく聞いていたので、まさかまたここまでの規模の地震を体験するとは正直思いませんでした。

震度こそ差はないですが、青森の地震より、熊本の地震のほうがより怖く感じました。
青森の地震は地震が来たなと思ったら勢い良く揺れだすのに対し、
熊本の地震は最初っから揺れが大きいのです。
心の準備もないままにいきなりどすんと揺れるのです。

いくら地震を経験しているといっても、これにはかなりビビりました。
しかも、大きい揺れが一回ぽっきりでなく、2,3度くると来た。

結局その日は日付が変わってからも廊下に続くドアを開けっぱなしにして、
玄関のすぐそばで眠りました。


多くの人が、あとは余震だと思って油断していたでしょう。
その次の日の深夜1時半ごろ、さらに大きいのがきました。

この日もすぐに外に出られるように、また周りのものが落ちてこないように
部屋の真ん中近くに座椅子を置いて布団をかぶって寝ていました。

すぐに、昨日の地震より大きいということが瞬時にわかりました。
揺れながら、何かががしゃんと割れる音が悲鳴みたいに聞こえてとても印象に残ったのを覚えています。

このとき、電気もアウトになりました。
すぐそばに置いていたはずの懐中電灯がわからなくて、
結局携帯の明かりを頼りに懐中電灯をさがして、
急いで外に出ました。

あたりはどこもかしこも真っ暗です。
同じアパートの人が続々とでてきました。
そのあとすぐ、また大きく地面が揺れました。

2度揺れたと思います。
2度目の時は車のカギを忘れて、隣の方の車に乗せていただいたのですが、
自分の車がかなりぐらぐら揺れているのを見て何とも言えない気持ちになりました。

そのあと、家に戻って、必要なものをとり車の中で一夜を過ごしました。
とはいっても眠れなくて、ほどんど起きてる状態です。

避難所に行ったほうがいいかと思いましたが、歩いて行けるほど近い距離だったので
そのまま車にいることにしました。

青森に住んでいた私からすれば、九州はある程度の耐震しかしてないだろうという
憶測と、通常ありえないような大きな揺れが何度も来てることで、
とにかく建物が崩壊しないかそれだけが心配でした。

現に近くの避難所では、建物が崩れる可能性があるから、外に出てほしいと指示が
あったそうです。

2度目の地震があった日の朝、この日は土曜日で自宅待機となりました。



空がとてもきれいでした。
不思議な気持ちで空を撮りました。
あんなにすごいことがあったのに、
空は全然変わらない。

自宅待機の日は、まだ余震も結構あって揺れていたので、
車の中で過ごしていました。
いつもはあっという間に過ぎていく時間が遅くて遅くてたまらない。
何かしたいと思っても、何も手につかない状態。

それから次の日も車の中に泊まって、そのあとは部屋で寝ることにしました。

ガスも止まって、水も断水したり、出てきても濁っていたり。

1週間経ちましたが、まともにお風呂も入れなく水風呂です。

まだ、部屋の中に入れる分ましだなと思います。


いっぱいいっぱいまだまだ書きたいこととか伝えたいことがあるのだけど、
疲れてきたのでこれぐらいにしとこうかなと思います。

連日の地震で最初の頃は何ともなかったところも
電柱がだんだん斜めになってきたりとか、崩れてきたりとかしているところも
たくさんあります。

とにかく用心してほしいと思います。


あと、各地から心配して声をかけてきてくれるみんなにありがとう。

何かせずにはいられないって思う人もいるだろうけど、
そんな時こそみんながそれぞれの生活をしっかりこなしているだけで、
それが一番の励ましになると思ってます。

たんたんと生活するよ。
ひとまずはね。

アドセンス